Home > 青山学院の紹介 > 青山学院の歩み > 青山学院と青山女学院
大正期に入り、青山学院では教育内容の充実と教育環境の整備が進み、生徒数も大幅に増加した。
1918(大正7)年の大学令公布を機に、青山学院理事会は、1920(大正9)年、独自に大学設置計画を進めることを決定した。しかしながら同計画は、翌年の高木院長の急逝、さらに関東大震災の発生により、次の機会に委ねざるを得なくなったのである。
青山女学院も大正期に入り発展を続けていたが、英文専門科は、関東のミッション・スクールで唯一専門学校の認可を受けていたにもかかわらず、連合キリスト教主義女子高等教育機関として1918(大正7)年に創立した東京女子大学の基礎固めに協力するため、1920(大正9)年3月をもって閉鎖した。かわって実務科、家政科、裁縫研究科を新設した。
| 1902年 | 青山学院校友会創立 |
|---|---|
| 1904年 | 日露戦争始まる |
| 1904年 | 青山学院高等科・神学部は専門学校の認可を受ける 青山女学院英文専門科は専門学校の認可を受ける |
| 1914年 | 第一次世界大戦勃発 |
| 1916年 | 「青山学報」創刊 |
| 1923年 | 関東大震災により、青山学院・青山女学院の建物諸施設大破 |
| 1924年 | 青山女学院創立50周年記念式挙行 |
「青山学報」
創刊号
関東大震災によって倒壊した大講堂
関東大震災後に教室としたバラック校舎







