シュー土戸 ポール
学院宗教部長
サーバント・リーダーと青山学院
青山学院はサーバント・リーダーを育みます。150周年への10年間の「AOYAMA VISION」(6頁)によると、青山学院は「すべての人と社会のために未来を拓くサーバント・リーダーを育成する」とあります。サーバント・リーダーという言葉は、聞き慣れない言葉だと感じる人もいるかもしれませんが、新しい概念ではありません。青山学院の建学の精神、教育方針、スクール・モットーにはサーバント・リーダーとの共通の精神が元来含まれているのです。
サーバント"servant"は仕える者、しもべです。リーダー"leader" は指導者です。一見、この2つの言葉は矛盾するように見えるでしょう。この組み合わせがどうすれば成り立つのかと疑問に思う方もいるでしょう。しかし、抹茶アイスクリームが初めて発売された時にも同じような感覚を覚えた人がいたのではないでしょうか。これらの矛盾しているように思われるものが一緒になると、不思議なことに、良いものが生まれることがあるのです。
縁の下の力持ちに
サーバント・リーダーシップという言葉は、1960年代の後半から1970年代の北アメリカにおいて、民間の産業部門で造り出されました。当時、商業界の過剰な競争主義によって企業の管理方式はますますトップダウン方式となりましたが、同時にその管理方式が非効率的であることも徐々に認識されてきていました。従来の方式である上層部による意思決定管理方式に対する不満が多い時代に、ロバート・グリーンリーフやジョージ・バーンズなどは人間の尊厳と自主性をより重視する新しいリーダーシップ方式を提案しました。そこで企業におけるリーダーシップの転換点を表すために最終的に用いられた言葉が、サーバント・リーダーシップであったのです。
サーバント・リーダーシップという言葉は、当初は企業のリーダーシップのために使われた言葉でしたが、実はキリスト教のリーダーシップ精神を表す言葉でもあります。トップダウン型のリーダーではなくボトムアップ型のリーダー像、つまりトップに立ち権力を持ったリーダーではなく、縁の下の力持ちとしての役割を持ったリーダー像は、まさにイエス・キリスト自身のリーダーシップと重なります。
「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」(マルコ10:45)と語り、弟子たちの足を洗うイエスこそ、サーバント・リーダーの代表であると言うことができるでしょう。「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕しもべになりなさい」(マタイ20:26─27)というイエスの教えからもそのことが伺えます。サーバント・リーダーシップという言葉は、キリスト教の中でも大いに受け入れられ、重要なリーダーシップ・スタイルとして理解されています。今では、一般社会及び公共部門においても使われています。
「地の塩、世の光」としての生き方
このように、サーバント・リーダーという概念はリーダーシップ論の一種として理解することができますが、「サーバント・リーダー」をその言葉通りに理解すると、サーバントになる人、リーダーになる人を併せ示しますので、より幅広い意味を持つことになります。サーバント・リーダーとは、限られた環境における限られた指導者だけを意味するのではなく、全ての人が人生を通して目指すことができる生き方そのものであり、その人の人格や生きていく上での価値観に深くつながるものを意味するのです。
青山学院のスクール・モットーである「地の塩、世の光」を体現する人はサーバント・リーダーの役割を果たしていると言えます。どのような社会的役割や年齢であっても、誰でも「地の塩」として周りの人たちに貢献し、サーバントの役割を果たすことが出来ます。また、「世の光」としての生き方は他の人の導きとなり、そのことによってリーダー的な役割にもなります。これこそが、サーバント・リーダーの生き方です。
総合学園である青山学院のキリスト教教育において、このサーバント・リーダーの概念は幼児教育から高等教育に至るまで重要な位置を占めています。たとえば、初等部の教育方針の基礎となる「5つのお約束」―親切にします、正直にします、礼儀正しくします、よく考えてします、自分のことは自分でします― を実現する人も、サーバント・リーダーと言えるでしょう。青山学院は、その園児から大学・大学院生、さらには卒業生に至る全ての関係者がサーバント・リーダーとして社会の根底で他者を支え、導き、周りを照らす光となることを目指しているのです。
ミッションを活かす表現
青山学院のミッションを支える10年間のヴィジョンは、さらに4つの資質を強調しています。これらは青山学院の特色と強みを表しており、本学院が目指すサーバント・リーダーの特徴であると言えるでしょう。リベラルアーツ教育と深い専門知識・専門教育は、バランスのとれた生徒・学生を育成します。「他者を敬い・違いを受け入れる」特徴は、本学院のメソジスト教育理念とも深く関係しています。「人と社会に仕える行い」は、青山学院の教育方針で大事にしている側面です。また、「Sincerity とSimplicity」は日本人初の院長本多庸一が用いた聖書の言葉であり、本学院が目指す人間像として理解されています。
これらの4つの側面を持ってこそ、青山学院らしいサーバント・リーダーであると言うことができます。サーバント・リーダーの概念は、歴史あるミッションを活かし、表現しているのです。
青山学院のサーバント・リーダー
140周年記念行事を通して、私たちは改めて青山学院の歴史を振り返りました。サーバント・リーダーの模範となる人物は、この歴史の中にも数多く見られます。学院の創立者と言われている方々はもちろんですが、それ以外にもサーバント・リーダーとして活躍した方々は数多く見出すことができます。例えば、津田仙がその一人です。院長や理事長等の役職には就いていませんが、創設当初から学院を陰で支え、生徒のために進んで犠牲を払い、たとえ自身が望む方向に進んでいる時ではなくても奉仕し続けた、まさに青山学院に連なるサーバント・リーダーの一人といえます。
すべての人と社会のために貢献しようとしている人、献身的に仕えている人、周囲に光を照らそうとしている人、このような方々は青山学院の歴史の中にたくさんいますし、今でも大勢います。サーバント・リーダーの精神を理解するためには、本学院の歴史と現在の教職員の姿を見ると一番分かりやすいといえるのです。