寄付者インタビュー
青山学院大学 国際政治経済学部卒業後、牧師となるために神学校へ。国際色豊かな新大久保の教会で牧師として働いたのちに、病院聖職者「チャプレン」としてコロナ禍のアメリカの病院に飛び込み、現在は日本でチャプレンとして活動されている関野牧師。「ハードな世界に身を置くことが好き」と語る関野牧師が進む、いばらの道を照らした光とは?
足は震え、顔面蒼白。小手先の祈りは通用しないアメリカでの日々
―「チャプレン」とは日本では聞き慣れない言葉ですがどんな存在ですか?
欧米には約6割の病院に病院付き聖職者がいます。「チャプレン」とは宗教施設の外で働く聖職者の事で、「チャペル」と同じ語源を持ちます。もっと深堀をするとチャペルの語源はカッパ(cappa)つまり人を覆う、包むものです。宗教施設の外で、人が守られなければならない場所で心を守っていくのがチャプレンです。僕はチャプレンのあり方、技術をより深く学ぶために2020年7月に渡米し、ミネソタ州ミネアポリスの病院で1年間勤務しました。
―医師や看護師、家族の方がいるのにチャプレンは必要?
僕がいた病院は、ドクターが患者さんに使える時間は約5分、ナースは約12分です。日々の業務でバタバタしている中で患者さんは、健康面では相談ができますが、苦しいこと、悩んでいること、絶望していることは話せないんです。人間って一番苦しいことを誰に話せるかというと実は家族ではなくて、信頼できる第三者なんです。「信頼できる第三者」になることがチャプレンの究極の仕事・目標だと思っています。僕もコロナパンデミック下のアメリカで外国人として働き、生活することが想像以上につらくて、時に誰からも応援されていないんじゃないかと悩んだり、不眠症になったりしました。 そのような中で日本のニュース番組で僕の活動を見てくださり応援してくださる方がいたり、青山学院初等部の児童もビデオメッセージやクリスマスオーナメントとして沢山の折鶴を送ってくれました。本当にしんどいときは、会ったこともない第三者である誰かに救われるんだとしみじみ感じました。
―医師や看護師、家族の方がいるのにチャプレンは必要?
僕がいた病院は、ドクターが患者さんに使える時間は約5分、ナースは約12分です。日々の業務でバタバタしている中で患者さんは、健康面では相談ができますが、苦しいこと、悩んでいること、絶望していることは話せないんです。人間って一番苦しいことを誰に話せるかというと実は家族ではなくて、信頼できる第三者なんです。「信頼できる第三者」になることがチャプレンの究極の仕事・目標だと思っています。僕もコロナパンデミック下のアメリカで外国人として働き、生活することが想像以上につらくて、時に誰からも応援されていないんじゃないかと悩んだり、不眠症になったりしました。 そのような中で日本のニュース番組で僕の活動を見てくださり応援してくださる方がいたり、青山学院初等部の児童もビデオメッセージやクリスマスオーナメントとして沢山の折鶴を送ってくれました。本当にしんどいときは、会ったこともない第三者である誰かに救われるんだとしみじみ感じました。
―初対面の患者さんと信頼関係をつくるには?
「この人だったら理解してもらえる」というのは人間が出会った瞬間に直感で9割決まると思っています。それは積み重ねていくもので、一晩二晩でできるものではありません。今日まで生きてきた中での失敗、挫折、過ちを持ったまま、一人の人間として立つことなのです。背伸びし、知識や経験をひけらかして、私があなたにアドバイスできますよというスタンスではなく、「本当は病室に入るのが怖い」「それでも一緒にいさせてください」という本心を伝えることによって相手に信頼してもらえるのではないかと思います。僕はコロナ禍、アジアンヘイトが高まる中で渡米し、顔に隠せない悲壮感がでていたと思います。病で苦しんでいる人って自信満々で煌びやかな人が来て元気になり、話せるのではなく、逆に心配できる誰か、頼りないくらいの方がよいといわれています。だから僕は患者さんに対してそういう存在であり続け、輝けない、力強くない自分を認めて差し出す…そんなアメリカでの日々でした。
―「弱い自分」はどうしたら認められるのでしょうか?
多分、本心では認められないと思います。僕は一見、堂々と自信を持って人前に立っている存在に見えるかもしれません。でも本当は人と話すのが得意ではないし、一人でいる時間の方が好きで、自信などありません。人に対して怒りも常に持っています。そんな自分を受け止めきれず、自分が嫌になる事も沢山あります。だからこそ仲間が必要で、チャプレンの同僚たちと週に2回集まって自分の失敗・醜い感情・怒りを全部さらけ出していました。それをチャプレンの仲間達の間で認め合います。自分が認めたくないものでも仲間が「それってあなた自身を守るためにそうしているんじゃない」「その経験があるから今があるんじゃないか」「自分もそうだったよ」といってくれることによって、認められないけど、一人じゃないと感じられます。「私は自分の弱さを認めています」とかいうと胡散臭いですが、それでも認めようとする努力、向き合おうとする姿勢をずっと持ち続けるのがチャプレンだと思います。
―「弱い自分」はどうしたら認められるのでしょうか?
多分、本心では認められないと思います。僕は一見、堂々と自信を持って人前に立っている存在に見えるかもしれません。でも本当は人と話すのが得意ではないし、一人でいる時間の方が好きで、自信などありません。人に対して怒りも常に持っています。そんな自分を受け止めきれず、自分が嫌になる事も沢山あります。だからこそ仲間が必要で、チャプレンの同僚たちと週に2回集まって自分の失敗・醜い感情・怒りを全部さらけ出していました。それをチャプレンの仲間達の間で認め合います。自分が認めたくないものでも仲間が「それってあなた自身を守るためにそうしているんじゃない」「その経験があるから今があるんじゃないか」「自分もそうだったよ」といってくれることによって、認められないけど、一人じゃないと感じられます。「私は自分の弱さを認めています」とかいうと胡散臭いですが、それでも認めようとする努力、向き合おうとする姿勢をずっと持ち続けるのがチャプレンだと思います。
―病院では看取りの際にチャプレンが同席すると伺いました。死に直面することへの恐怖心はありませんでしたか?
もちろんありました。アメリカで働き出して最初に看取ったのは、オーバードーズ(ドラッグの過剰摂取)で心停止状態で運ばれてきた20代の男性でした。いきなり「看取ってくれ」といわれました。病室でやることは日本で牧師をしていた時と同じで、聖書の詩編を読むんですが、初めてのそんな場面、しかも英語で、頭が真っ白になりました。足はわなわな震え、声もぶるぶるで緊張で、途中から読めなくなってしまいました。そうしたら、その患者さんの家族たちがその聖書の箇所を暗唱していて、僕が止まったところを唱えているんですよ。その瞬間、「聖書を読む」という僕の仕事は絶望のどん底で響いていた言葉、皆の心の中にある祈りを引き出すことで、自信満々に朗々と読み聞かせる必要はないと気付きました。恐怖と不安の苦しみの場、人生最後の場を聖なる時間にシフトするきっかけをつくるのは弱さを抱えたままの僕、チャプレンなのだと思いました。いざ人工呼吸器を切って家族は泣き崩れていましたが、一緒にハグして一緒に涙を流しました。そういった日々を受け止めることは、自分自身が粉々にぶっ飛んで崩れる感じです。自分のこれまでの経験や理解とか小手先の祈りとかは、何にも通用しません。
もちろんありました。アメリカで働き出して最初に看取ったのは、オーバードーズ(ドラッグの過剰摂取)で心停止状態で運ばれてきた20代の男性でした。いきなり「看取ってくれ」といわれました。病室でやることは日本で牧師をしていた時と同じで、聖書の詩編を読むんですが、初めてのそんな場面、しかも英語で、頭が真っ白になりました。足はわなわな震え、声もぶるぶるで緊張で、途中から読めなくなってしまいました。そうしたら、その患者さんの家族たちがその聖書の箇所を暗唱していて、僕が止まったところを唱えているんですよ。その瞬間、「聖書を読む」という僕の仕事は絶望のどん底で響いていた言葉、皆の心の中にある祈りを引き出すことで、自信満々に朗々と読み聞かせる必要はないと気付きました。恐怖と不安の苦しみの場、人生最後の場を聖なる時間にシフトするきっかけをつくるのは弱さを抱えたままの僕、チャプレンなのだと思いました。いざ人工呼吸器を切って家族は泣き崩れていましたが、一緒にハグして一緒に涙を流しました。そういった日々を受け止めることは、自分自身が粉々にぶっ飛んで崩れる感じです。自分のこれまでの経験や理解とか小手先の祈りとかは、何にも通用しません。
「あんた」といわれることが「信頼できる誰か」になれたという僕の救い
-なぜチャプレンを志したのですか?
青山学院大学の3年生だったときに僕の妹が急性の糖尿病で集中治療室に運び込まれ、危険な状態になってしまいました。ちょうどミレニアムで2000年に一度のクリスマスで世間は盛り上がり、周囲は大学3年でそろそろ就職を考え出す頃で、僕だけ絶望の中にいる気持ちでした。そのとき知人の牧師さんが新幹線に乗って神戸から会いにきてくれ、集中治療室で共に祈ってくれました。その結果僕の妹はまだ元気です。もちろん、青学の宗教主任も祈ってくれていましたし、その時に僕もこうなろうと心に決めました。あれから20年くらい経って僕もアメリカの病棟に入り、日本に戻ってきて、やっとあの日自分を助けてくれた牧師さんに近づけたかなと思います。
-なぜチャプレンを志したのですか?
青山学院大学の3年生だったときに僕の妹が急性の糖尿病で集中治療室に運び込まれ、危険な状態になってしまいました。ちょうどミレニアムで2000年に一度のクリスマスで世間は盛り上がり、周囲は大学3年でそろそろ就職を考え出す頃で、僕だけ絶望の中にいる気持ちでした。そのとき知人の牧師さんが新幹線に乗って神戸から会いにきてくれ、集中治療室で共に祈ってくれました。その結果僕の妹はまだ元気です。もちろん、青学の宗教主任も祈ってくれていましたし、その時に僕もこうなろうと心に決めました。あれから20年くらい経って僕もアメリカの病棟に入り、日本に戻ってきて、やっとあの日自分を助けてくれた牧師さんに近づけたかなと思います。
-関野先生にとってチャプレンのやりがいとは?
今はキリスト教系でない神奈川と大阪ふたつの医療機関でチャプレンをしています。牧師と会ったこともなければ、チャプレンのチャの字も知らない人の病室、ホスピス、在宅ケアの方の部屋に入っていくのは、かなりの勇気が必要です。「悩んでいること、話せていないことがあったら聞きます」っていうとたいてい皆さん「結構です…」とおっしゃいます。だけど「5分だけ座っていいですか」といって座ると絶対に5分が1時間になるんです。最後「あんたに話せてよかった」「心が軽くなった」といってくれることが結構あってそこで「あんた」っていわれることが、信頼できる誰かになれたという僕の救いなんですよね。病院に行くと「関野さんに会いたかった」と言われることも増えてきましたが、今でも、先ほど話したオーバードーズの青年の部屋に行くのと同じような緊張感があります。同時にとてもやりがいがあります。
もらえるものは、一生もらえない言葉
―最後に、関野先生が様々な過酷な経験を通じても、なおチャプレンの活動を続けられるのはなぜですか?
今も大阪でのチャプレンの活動に往復10時間かけて出かけます。下手すると1日に一人しかケアしていないこともあります。その家族でもない一人のために10時間をかけるなんて時間的にも金銭的にも非効率と思われるでしょう。でもその理屈に合わないところを突き抜けないと得られない出会いがあります。そこで出会ったおばあちゃんが「来週も来てね」って言ってくれるだけで救われるんです。まだ新型コロナウィルス感染が続く中で、多くの人が家族や友人とほぼ面会できない大きな孤独の中で過ごしています。もしかすると、その人が人生の最後に話す人間が自分かもしれないのです。この上ない豊かで尊い時間をいただいているのです。そうやって、はかりごとを度外視し、向かっていくことが僕にとっての『チャプレン』です。
―最後に、関野先生が様々な過酷な経験を通じても、なおチャプレンの活動を続けられるのはなぜですか?
今も大阪でのチャプレンの活動に往復10時間かけて出かけます。下手すると1日に一人しかケアしていないこともあります。その家族でもない一人のために10時間をかけるなんて時間的にも金銭的にも非効率と思われるでしょう。でもその理屈に合わないところを突き抜けないと得られない出会いがあります。そこで出会ったおばあちゃんが「来週も来てね」って言ってくれるだけで救われるんです。まだ新型コロナウィルス感染が続く中で、多くの人が家族や友人とほぼ面会できない大きな孤独の中で過ごしています。もしかすると、その人が人生の最後に話す人間が自分かもしれないのです。この上ない豊かで尊い時間をいただいているのです。そうやって、はかりごとを度外視し、向かっていくことが僕にとっての『チャプレン』です。
なぜチャプレンの活動をしているかを究極的に突き詰めると自分のためです。自分も人生の最期、一番弱いときに誰かに側にいて欲しいからです。チャプレンの活動として何人の人に会ったとしても、たとえどれだけ距離を移動しても、診療報酬になる訳ではないし、数字化できるリターンは僕には何もありません。だけど一生もらえないような言葉と気持ちをもらえる。この間、認知症のおばあちゃんに「旦那さんはどうされているんですか?」と聞いた際にこんな言葉をくれたんです。「主人は生きているか死んでいるか忘れた。でもあんたと話せて楽しかった」。旦那が生きているか死んでいるかわからないけど、「あんたがいてくれてよかったよ」と。これはもうスピリチュアルどころではない。こんな言葉を聞けることは人生の中で滅多にない。そんな宝物のような言葉を大阪のおばあちゃんから言われて心底嬉しかったです。キリスト教系でない医療機関、特に在宅医療でチャプレンが宗教性を前面に出さずに人々の心のケアをするのはほぼ初のケースです。独自の宗教観、スピリチャリティーを持つ日本でもう少し時間とエネルギーをかけてチャプレンの働きを普及させて、それを持って再び海外に挑戦したいと願っています。
なぜチャプレンの活動をしているかを究極的に突き詰めると自分のためです。自分も人生の最期、一番弱いときに誰かに側にいて欲しいからです。チャプレンの活動として何人の人に会ったとしても、たとえどれだけ距離を移動しても、診療報酬になる訳ではないし、数字化できるリターンは僕には何もありません。だけど一生もらえないような言葉と気持ちをもらえる。この間、認知症のおばあちゃんに「旦那さんはどうされているんですか?」と聞いた際にこんな言葉をくれたんです。「主人は生きているか死んでいるか忘れた。でもあんたと話せて楽しかった」。旦那が生きているか死んでいるかわからないけど、「あんたがいてくれてよかったよ」と。これはもうスピリチュアルどころではない。こんな言葉を聞けることは人生の中で滅多にない。そんな宝物のような言葉を大阪のおばあちゃんから言われて心底嬉しかったです。キリスト教系でない医療機関、特に在宅医療でチャプレンが宗教性を前面に出さずに人々の心のケアをするのはほぼ初のケースです。独自の宗教観、スピリチャリティーを持つ日本でもう少し時間とエネルギーをかけてチャプレンの働きを普及させて、それを持って再び海外に挑戦したいと願っています。
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