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伊藤 悟<br>大学宗教部長

伊藤 悟
大学宗教部長

「シンボルが紡ぎ出すメッセージ」

キリスト教信仰と象徴言語(シンボル)
私たちの世界では象徴言語(シンボル)を多様に使います。キリスト教世界でも、様々なかたちで象徴言語が用いられてきました。シンボルは、ある方向性やメッセージを発信し、単に慣習的で偶然的にできたしるしや記号とは異なります。明らかに何か別の存在次元を表しているのです。

パソコンやスマートフォンで用いられる「アイコン」は、元来、教会の中で用いられる「イコン」のことで、とくにオーソドックス教会(ギリシア正教やロシア正教など)の礼拝堂に掲げられる聖画像を指す言葉です。正教徒たちはイコンに祈りをささげ、口づけをし、イコンを聖なるものとして捉えてきました。その信仰の対象はイコンそのものではなく、イコンに画かれた原像です。つまりイコンを通してイコンの奥にあるものとの出会いを経験してきたのです。

「象徴」とは、「対極にある二つの世界の片方の部分」という意味があります。たとえば、友人同士が指環を半分に割って分け合い、のちにその子孫が二つをつなぎあわせて一致するところから自分たちが何ものであるかを認知します。あるいは結婚指輪は対をなして互いを結び合わせているシンボルですが、普段はバラバラに用いられます。そうした場合、指環というシンボルは、愛する相手そのものではありませんが、その相手との関係や自分自身の立場を明確に指し示すものです。

象徴は、霊的な世界や定義しきれないものを私たちの目の前に引き出す役割を果たし、同時に、私たちをそれらの世界へと引き連れていく役割を果たします。聖書の救済史の観点から言えば、象徴は創造者なる神と被造物なる人間を結びつけるもので、象徴を通して神の語りかけを受け留め、象徴を通して神のもとへと近づくという営みをキリスト教信仰は繰り返してきたのです。

じつはキリスト教学校のなかの象徴の代表こそが、各学校で毎日行われる「礼拝」です。青山学院においても「礼拝」はその信仰と教育の原点へと私たちを引き摺りだす大切な瞬間です。

教会暦と典礼色
様々なシンボルは、キリスト教世界においてしばしば教育的な役割を果たしてきました。シンボルを通して信仰の奥義を学び、シンボルを見るたびにその深いメッセージを想起します。象徴言語はそのメッセージが子どもたちにも届くからです。

キリスト教会が定めた非常に分かりやすいシンボルに「典礼色」があります。識字率の高くない時代や社会にあって、また、今のようにカレンダーや手帳のない時代に、典礼色は、時の流れ(季節)を知らせる大事な働きをしました。そしてそれぞれのカラーにはメッセージが込められていますから、季節ごとの典礼色に触れるたびに、心の整え方も学ぶのです。

青山学院では合同メソジスト教会の教会暦と典礼色を用いて、この伝統を取り入れています。各礼拝堂のオルタークロス(聖壇布)や講壇布の色は、教会暦にしたがって色が変えられます。青山学院で採用している教会暦と典礼色は表の通りです。

青山学院では合同メソジスト教会の教会暦と典礼色を用いて、この伝統を取り入れています。各礼拝堂のオルタークロス(聖壇布)や講壇布の色は、教会暦にしたがって色が変えられます。青山学院で採用している教会暦と典礼色は表の通りです。

クリスマス・ツリー
次に、数あるキリスト教の象徴のうち、少々季節外れですが、私たちにもっとも馴染みのあるクリスマス・ツリーを取り上げてみましょう。青山学院では毎年、アドヴェント直前の金曜日の夕方にクリスマス・ツリー点火祭を行って新しい季節に入ります。キャンパス中央の大きなヒマラヤスギ(樹齢70~80年)の一番上の星に点灯し、学院全体で「降誕を待ち望む礼拝」を行います。

青山学院のクリスマス・ツリーは街中のイルミネーションとは異なります。私たちのツリーは雰囲気作りをしているのではありません。デコレーションをしているのでもありません。「光の降誕」というメッセージを伝えようとしているのです。あのツリー自体が、大切な学院のキリスト教教育の教材でありメッセージそのものです。

昨年、ある学生たちから質問がありました。せっかくのクリスマスをキャンパスでもっと華やかに祝ってはどうか、周りの木々にも電飾をつけて…という質問と提案でした。キャンパスづくりを考えようという積極的な発案を嬉しく思いましたが、私はこの学生たちに文書で次のように説明(回答)しました。

「点火祭で灯す光は、聖書からのメッセージ、すなわち暗闇の中に光として誕生するイエス・キリスト、そしてこのキリストによってもたらされる希望の約束を暗示するものであって、街中のイルミネーションとはまったく異なる宗教的意味合いが深く込められています。そのため学院では、クリスマス・ツリーそのものも、明るさや色合いのトーンをあえて抑えて、最上部の星だけがくっきり目立つように工夫しています。ぜひ青山学院が大切にしてきた信仰と伝統に触れ、本来のクリスマスの迎え方・祝い方を学んでみてください。」この学生たちは、大変感動してよく理解を示してくれました。周りが暗いことの意味、最上段の星(スター)がもっとも輝いていなければならないことの大切さについて学んでくれました。

別のある方からは次のような質問を受けました。それは、点火祭の点灯順は、下から上へと順に点灯し、最後に星に光が灯るほうがよいのではないか。最後に院長が星の点灯ボタンを押すほうが流れとしてすっきりして、そのほうが気持ちも期待感も盛り上がるのではないかという質問でした。これについても次のように答えました。

「聖書のメッセージは、あくまでも星が先なのです。星が先立って進み、救い主の誕生を知らせました。星に導かれるようにして、クリスマスの知らせが上から下へと届いたのです。だから下から上ではなく、上から下への順です。はじめに希望の星が闇の中に輝くのです。そして、救い主を指し示すその星の点灯スイッチを最初に押すのは、学院でもっとも小さな幼稚園児がふさわしい。」

ところで、近年、樹木の下の部分の電飾の長さが不足していることにお気づきでしょうか。これは樹が伸びているためだそうです。毎年15センチほど樹が成長しているのです。これも象徴的です。星が、去年よりも高いところで、より闇の深いところで輝くようになっている?? 私たちの罪の現実が、より深刻になっているのでしょうか。