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大宮 謙<br>大学宗教主任

大宮 謙
大学宗教主任

ナイス・サーブ

昨年度、学院創立140周年を迎えるに当たり「AOYAMA VISION」が策定されました。このVISIONの具体化のために同時に挙げられた7つのACTIONの第一(ACTION1)としてサービス・ラーニング(以下SLと略称)が掲げられたことを私は感慨深く受け止めました。と言うのも、SLが大学の青山スタンダード科目の一つとして開講された2010年度以来、この科目を担当して来たからです。開講当初は、この科目が「ボランティア活動を否定するものだ」と誤解して履修しない学生もいました。現在は誤解も解け、喜ばしいことにボランティアに関心のある学生や実際に活動している学生たちも履修しています。また、科目名から飲食業などのサービス業に関係する科目だと誤解する学生もいました(中には誤解が解けた上で、そのまま履修した学生もいます)。

私自身、2008年度に青山学院大学に着任して初めてSLという言葉を聞きました。その時に、「なぜわざわざサービスをラーニングしなければならないのだろう」と疑問に思ったことを思い出します。内容を良く理解しないままに、「SLとはボランティア活動の仕方を勉強することに違いない」と決め付け、「ボランティア活動なら理屈を言わずに実行すれば良いではないか。わざわざラーニングする必要はあるのか」と考えたのです。正直なところ個人的には、ある程度「ボランティア活動」なら行ってきたという気持ちもありました。例えば、大学時代には所属していた教会が毎年夏に大島の藤倉学園という施設で行っていたワーク・キャンプに何回か参加しました。また、大学を卒業する直前には、栃木県にあるアジア学院というキリスト教系の農村指導者養成専門学校でのワーク・キャンプに参加して、アジア、アフリカ諸国からの研修生たちと交流する機会も得ました。大学卒業後も、奥多摩の森林を守る活動をしているグループの活動に参加したりしたのです。

ところが、思いがけずこの科目を担当することになり、授業準備をする中で、自分の間違いに気付かされました。最も大きな発見は、SLが対象とするのがボランティア活動に限定されず、コミュニティ(地域)の様々なニーズに応える活動を含むことでした。そもそもSLは、米国で1990年から本格化した実践的な学習法です。米国で古き良き時代の参加型民主主義の伝統が薄れ、個人主義の傾向が強まっているという問題意識の中で、現状を打破する方策として打ち出されました。具体的には教室での学習と教室の外のコミュニティでの活動を結び付けて、(1)事前準備、(2)サービス活動、(3)省察(リフレクション)、(4)概念化という四つの段階を辿ります。ここで「サービス活動」は「ボランティア活動」も勿論含まれますが、そればかりでなく、寄付活動やアドボカシー(社会的提言)活動も含まれます。また、SLの定義は百以上あるという説もありますので一概には言えませんが、私見ではインターンやソーシャルビジネスさえも「サービス活動」に含んで良いのではないかと考えています。要はコミュニティのニーズをどう受け止め(多様なニーズがあれば優先順位を付けることも必要になるでしょう)、そのニーズに応えるのに相応しい活動をどう選んで実践していくかを考えるのがSLなのだと思います。また、コミュニティについても必ずしも自分が住んでいる場所に限らず、例えば海外のある場所のコミュニティを対象とすることも可能だと思います。

SLによって期待される成果は、地域社会への参加意識を高め、自分が地域社会の中でどの役割を担うのかを考え、その役割に必要な専門知識を身に着けるきっかけを得ることです。従って、SLが目指す人物像は、いささかスローガン的に言えば、「余暇活動としてのボランティアに熱心な善意先行の素人」というよりも、「冷静な分析力と熱いハートとサービス精神に溢れた玄人」ということになるでしょう。私が「玄人」志向になったきっかけは、1993年7月の北海道南西沖地震での経験です。被災地に一番乗りして「ボランティア活動」を始めることに情熱を燃やしていた友人の強い誘いによって、地震直後の奥尻島に渡った私は、被災者の他には救援活動を行う自衛隊員と報道関係者しかほぼいないという環境で数日を過ごしました。避難所となった体育館で救援物資を配りながら、本来は被災者用の物資を自分も消費することに抵抗感を覚え、「専門的技能を持たない素人である故に被災地ではあまり役に立たない自分」を突き付けられました。こうした経験を踏まえて、ACTION1で掲げられている「全学院的なセンター」に私が期待したいことは、先ほど述べた「広い意味でのサービス活動」、つまり玄人に期待される活動にも対応する機能です。例えば、大学の各部での専門教育・研究を生かしたサービス活動や、各部(学校、幼稚園)の特性を生かしたサービス活動のアレンジなどがセンターの機能としてあれば、社会の中で青山学院の役割をより一層果たすことになるでしょう。

私自身は大学時代以来関心を持ち続けていたアジア・アフリカ方面で社会事業に関わりたいと会社員時代に模索した挙句、キリスト教の教会の牧師となる道を進むことになり、現在の大学宗教主任としての務めを与えられるに至りました。SLという文脈で言えば、社会にサービスする道を探している中で、神にサービス(礼拝)することに責任を持つ役割を与えられたということになるでしょう。学生一人一人、コミュニティにおける自分の役割を見い出すプロセスも行き着く先も異なることでしょうが、神と社会により良く仕える(サーブする)人材が、SLを学んだ人たちの中から多く輩出されることを願います。授業の中で、サービス精神について考える際に、相手の取れないサーブをすることが「サービス・エース」と呼ばれる不思議さを取り上げます。私見では、本当の「サービス・エース」とは相手が最も打ち返しやすいサーブをすることだと思います。真の意味で相手の役に立つサーブ(奉仕)ができる人が社会に溢れるならば、あちこちで「ナイス・サーブ」との喜びの声が沸き起こることでしょう。そんな社会が実現することを願いながら、今後ともより良いサービスをラーニングし続けて行きたいと願っています。