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[所蔵資料クローズアップ]No.1 青山の宝 15世紀発行のラテン語聖書 Biblia Latina

1921(大正10)年頃の青山キャンパス

No.1
青山の宝 15世紀発行のラテン語聖書
Biblia Latina

この聖書を購入するきっかけとなったのは、1970年9月29日付で当時の大木金次郎院長あてにエドウィン T. アイグルハート先生の長男フェルディナンド C. アイグルハート氏より160ドルが入った書簡が届いたことでした。

E.T.アイグルハート先生は、1904年米国のメソジスト監督教会の宣教師として来日し、1948年まで戦時中の一時帰国の6年間を除き、人生の大半を青山学院に奉職された方です。彼の三男ルイス・アイグルハート氏の令嬢リンさん(当時19才)は、1970年6月19日交通事故のため、亡くなられました。祖父E.T.アイグルハート先生の影響か、彼女は生前日本にとても興味をもっていたため、青山学院に追悼記念の寄附をすることが故人にも喜ばれるだろうと考え、アイグルハート家の名前で先の160ドルが献金されたのです。
この献金をラテン語聖書の購入の一部とすることが決まり10月末に雄松堂から購入しました。

ご覧のように、金箔や青・赤の彩色がほどこされた、とても美しい聖書です。黒文字以外の赤、青、金色などは一つ一つ手彩色によるものです。グーテンベルグ聖書が発行(1452~1456年)されてから20数年後の1478年にベニスで印刷されており、インキュナブラと呼ばれています。紙は少し厚めで行数は53行、2段組、総ページ数は902ページ。表紙は皮(現在の製本は1700年代に製本しなおしたものと推定される)、高さ28cm、総重量は2.5kg。

購入した当時の調査によると、グーテンベルグの活版技術発明後15世紀末までの約50年の間に印刷業者の数は増え続け、4万種約1200万冊の本が世に出たとされています。しかし多くは散逸し、1970年当時日本国内では一枚づつばらしたものでも取り引きされているような状況であり、完全な形で残っているものは稀少価値が非常に高いのです。国内には約30部存在していたとのこと。また、インキュナブラには発行年が記されていないのが普通であり、L. ヘイン編集による書目索引によって確認することが一つの証明方法となっています。青山学院で所蔵しているものは、そのNo.3070に該当するものであり1476年発行であることが証明されます。約520年も前のものとは感じさせないほど保存状態は良好です。鉛筆やペンのメモ書きがあり、所蔵シールなども貼られていますが、ベニスで生まれたこの聖書が、490年の間どこの国のどのような場所で、どんな人またどれだけの人に読まれ青山学院へたどりついたのか、興味は尽きません。
(2000年記)

注: インキュナブラとは…ラテン語でおむつ、出生地、初めの意ですが、揺籃(揺りかご)を意味するキュナブラが語源でもともとは活版印刷技術の揺籃期の意味で用いられていました。後にこの時代に印刷された本や印刷物の総称として使われることが多くなりました。年代的には15世紀後半をさす場合がほとんどですが、15世紀後半から16世紀前半までとする研究者もいます。

参考文献
『西洋印刷文化史』S.H.スタインバーグ著、高野彰訳
『日本大百科全書2』小学館発行
「青山学報」第62号