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東日本大震災から10年 山本与志春院長メッセージ

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2021.03.11

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東日本大震災から10年 山本与志春院長メッセージ

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10年前、津波が堤防を乗り越えていく様子を目の当たりにした時、にわかには現実のものとは捉えられなかったことを思い出します。被災地の惨状は想像を絶するものでした。首都圏でも電力の供給が不足し計画停電が実施され、街のネオンは消えました。テレビのCMはなくなり日本中が被災地の悲しみと痛みを共有したいと願い、支援の輪が広がり、そこに「絆」が生まれていました。世界の174もの国と地域から支援が寄せられ、その中には各国から支援を受けている貧しい国も含まれていました。2011年は、日本が世界で最も支援を受けた国になったのです。

10年前、津波が堤防を乗り越えていく様子を目の当たりにした時、にわかには現実のものとは捉えられなかったことを思い出します。被災地の惨状は想像を絶するものでした。首都圏でも電力の供給が不足し計画停電が実施され、街のネオンは消えました。テレビのCMはなくなり日本中が被災地の悲しみと痛みを共有したいと願い、支援の輪が広がり、そこに「絆」が生まれていました。世界の174もの国と地域から支援が寄せられ、その中には各国から支援を受けている貧しい国も含まれていました。2011年は、日本が世界で最も支援を受けた国になったのです。

青山学院は、その日約8,000人の帰宅困難者を受け入れて、学生のために用意していた水や非常食、防寒シートなどを配りました。突然の出来事に際して、適切な判断を下すことは困難なことです。この時に対応した教職員の思いは、青山学院は目の前にいる助け求める人を見過ごしてはならないということでした。それは、関東大震災の時に、流言によって命の危険を感じた朝鮮の人たちや、けが人を学院内に保護した先達に倣ったものでした。そして、いと小さき者、虐げられた者と共におられるイエス・キリストが語られる、互いに愛し合うことを実践することができたのです。

東日本大震災から10年を迎え、そこには新たな生活を築き上げた方がおられます。復興事業を進める方がおられます。放射線量を計測しながら原子力発電所の廃炉工事を担われている方がおられます。愛する人が突然目の前から消え去ったその時から、時間が止まったまま、心の空洞を満たされることなく過ごしている方がおられます。今も災害は続いています。絆を断ち切ってはなりません。

青山学院では東日本大震災以降、3月11日に、被災地を覚える祈祷会が守られます。今年はCOVID-19も祈りに加えられています。毎年のように多くの災害が各地で起きています。被災した方々の悲しみと痛みを忘れないこと、災害の脅威を心に刻み備えること、支援してくださった方々への感謝を覚えること。それが、互いに愛し合い支え合う「絆」を繋いでいくことだと考えます。

青山学院は、すべての人と社会のために「地の塩、世の光」として、サーバント・リーダーとして、これからも祈り続け、歩み続けてまいります。