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『写真に見る青山学院150年』【改革と充実の時代】

学院基盤の再構築

厚木キャンパスの開学

大学紛争中の1969(昭和44)年、日本政府代表の一員として国際連合総会に出席した大木金次郎院長は、政治・経済・社会に関する専門知識と英語力を兼ね備えた人物を養成する必要を認識した。そこで国際政治経済学部の新設を構想したものの、大学設置基準を満たして新学部を設置するには、新たな校地を得なければならなかった。

1980(昭和55)年3月、青山学院は神奈川県厚木市に宅地開発公団が計画・開発していたニュータウン「森の里」の土地45207坪(約152700㎡)を、49億5000万円で購入した。新校地を得た青山学院は施設整備を急ぎ、開学までにA館からK館までの事務棟・教室棟と、万代記念図書館、ウェスレー・チャペル、体育館を建設した。

厚木キャンパスは1982(昭和57)年4月に開学した。同時に設置した国際政治経済学部は、国際政治学科と国際経済学科からなり、1987年には国際経営学科が新設(2001年募集停止)された。大学の一般教育課程の授業を行う厚木キャンパスには国際政治経済学部を含む各学部の1・2年生、青山キャンパスには3・4年生、世田谷キャンパスには理工学部の2~4年生が通学することになった。

しかし厚木キャンパスでは、開学当初から立地環境に起因する「厚木問題」が生じていた。厚木キャンパスと最寄り駅の小田急電鉄本厚木駅・愛甲石田駅との交通アクセス問題や、都心の青山キャンパス・世田谷キャンパスとの教育・学生生活の分断が問題視されたのである。その後も大学は様々な対応を試みたが、問題の抜本的解消には至らなかった。

2003(平成15)年の相模原キャンパス開学に伴い、厚木キャンパスの機能は相模原キャンパスに引き継がれた。厚木キャンパスは2003年3月31日をもって閉学し、21年間の短い使命を終えた。

造成中の厚木市森の里/1980(昭和55)年

厚木キャンパスが置かれた森の里は、奥に連なる丹沢山地と相模平野の間の丘陵部を開発して誕生した。

厚木キャンパス航空写真/1983(昭和58)年

キャンパスの北西方面から厚木市街地を望む。

厚木キャンパス正門/1982(昭和57)年

左にウェスレー・チャペル、正面にA館、右に体育館がある。

万代記念図書館/1982(昭和57)年

厚木キャンパスの図書館は、万代順四郎の名を取って万代記念図書館と命名された。

厚木キャンパス食堂/1982(昭和57)年

開学当初、周囲には飲食店がなく、食堂は混雑した。

本厚木駅のバス行列/1984(昭和59)年

厚木キャンパスは本厚木駅から直線距離で約5km、道路距離で約8km離れていたため、多くの学生はバス通学を余儀なくされた。乗車時間は通常20分程度だが、渋滞のため40~50分かかることも少なくなかった。

東から見た厚木キャンパス/1995(平成7)年

ウェスレー・チャペルの奥には富士通研究所の建物3棟と、森の里の住宅地が見える。

21 世紀に向けて

厚木キャンパスを開学した大学は、1988(昭和63)年には青山キャンパスに大学11号館と大学14号館(総合研究所ビルディング)を建設し、18歳人口の急増に対応する。大学14号館に置かれた青山学院大学総合研究所は、大学の教育・研究を推進した。

女子短期大学では、1980(昭和55)年に体育館(中等部と共用、中等部の西校舎)、1983(昭和58)年に礼拝堂やギャラリーを新設し、1986(昭和61)年には図書館を増築した。また、18歳人口の増加に際して、1989(平成元)年には芸術学科を置くとともに、短大別館を建設した。

高等部と中等部については、6年制一貫教育の徹底を望む大木金次郎院長・理事長の強い意向によって、1986年に青山学院高中部が発足した。学校としての高等部と中等部は残しつつ、部長を1人とするなど、両部の組織を一本化した(2006年2部長制に戻る)。

元号が昭和から平成に代わった1989年、大木院長・理事長が在職中のまま逝去した。その後任として1990(平成2)年に就任した羽坂勇司理事長は2005(平成17)年まで、深町正信院長は2008(平成20)年までと長きにわたり在職し、青山学院の基盤の再構築に尽力した。

1994(平成6)年、青山学院は創立120周年を迎え、記念式典や公演会「青山が創る文化の集い」のほか、各設置学校のスポーツ大会、英語弁論大会といった諸行事を開催した。

1999(平成11)年には創立125周年を記念して、次の青山学院スクール・モットーが制定された。

地の塩、世の光
The Salt of the Earth, The Light of the World
(マタイによる福音書、第5 章13 ~ 16 節より)

女子短期大学礼拝堂とパイプオルガン/1984(昭和59)年

女子短期大学礼拝堂は1983年に建設された。翌年、パイプオルガンが据え付けられ、短大の礼拝や各種行事に用いられた。

大学14号館(左)、大学11号館(右)/1988(昭和63)年

1988年に竣工した大学14号館には大学の事務室、院生研究室、教員研究室のほか大学総合研究所が設置され、総合研究所ビルディング(総研ビル)と呼ばれている。大学11号館には教室、院生研究室、教員研究室がある。

大学硬式野球部の東都大学野球初優勝/1988(昭和63)年

大学硬式野球部は1988年秋季の東都大学野球1部リーグで初優勝した。1993年には春季の東都大学野球1部リーグで優勝、第42回全日本大学野球選手権大会で初優勝し、日本一となった。2024年の第73回全日本大学野球選手権大会において、6度目の優勝を果たしている。

青山学院創立120周年記念式典/1994(平成6)年
女子短期大学の秋期プレイデイ/1994(平成6)年

女子短期大学の体育大会であるプレイデイは開学翌年の1951年に始まり、1980年から毎年春と秋の2回開催となり、1994年には120周年記念行事の一環として開催された。

高等部の英語弁論大会/1994(平成6)年
中等部の英語弁論大会/1994(平成6)年
初等部の運動会/1994(平成6)年
幼稚園の礼拝室/1997(平成9)年

1995年、幼稚園は3年保育の開始に伴い園舎を改修し、2階の職員室や図書室などを礼拝室に改装した。

青山キャンパス航空写真/1997(平成9)年

青山学院女子短期大学の閉学

日本有数の短期大学として発展してきた青山学院女子短期大学は、女性の4年制大学志向と18歳人口の減少が進んだ1990年代には、受験者数の減少に直面した。2000年代にかけて4年制女子大学への改組を構想し、これは実現しなかったが、幼稚園教諭に加えて保育士の養成を行うため、2006(平成18)年に児童教育学科を3年制の子ども学科に改組した。

これと並行して、2005(平成17)年には青山学院理事長・院長の連名で、大学と女子短期大学の統合が諮問された。しかし、2009(平成21)年に大学と女子短期大学が提出した共同改組案は採用されず、短大単独で改組を行うこととなり、2012(平成24)年に子ども学科を除く国文学科、英文学科、家政学科、教養学科、芸術学科を統合した現代教養学科(日本専攻、国際専攻、人間社会専攻)を設置した。また、2014(平成26)年には卒業生向けの専攻科現代教養専攻(1年制)、多元文化専攻(2年制)、子ども学専攻(1年制)を設置した。

こうして教育環境の充実に努めた女子短期大学であったが、将来構想を検討するなかで閉学を決断した。2017(平成29)年、現代教養学科と子ども学科の学生募集を2019(平成31)年度より停止する旨を公表した。2020(令和2)年からの新型コロナウイルス感染症に際しては、オンライン授業も活用して教育が続けられ、最後まで残った専攻科子ども学専攻の学生も2022(令和4)年3月に修了した。同年10月27日の廃止認可をもって、学科卒業生62030名、専攻科修了生6181名を輩出した女子短期大学は、72年の歴史に幕を下ろした。教員の多くは大学コミュニティ人間科学部に移籍し、女子短期大学が果たしてきた女子教育の伝統も2021(令和3)年に大学に設置されたスクーンメーカー記念ジェンダー研究センターに代表されるように、青山学院に継承されている。

女子短期大学図書館/2010(平成22)年

1986年に増築された玄関。閉学に伴い、女子短期大学図書館の蔵書は大学図書館に移管された。

青山学院東門/2011(平成23)年

この東門は、新たな幼稚園舎の建設工事が始まる2023年まで使用された。

女子短期大学学位授与式/2020(令和2)年

新型コロナウイルス感染症の影響で、2019年度の卒業式・修了式は中止となり、教室で学位が授与された。

女子短期大学学生食堂/2022(令和4)年
女子短期大学卒業式・専攻科修了式/2022(令和4)年

女子短期大学最後の卒業式・修了式。専攻科子ども学専攻の42名全員が修了した。

卒業式・修了式後のハットトス/2022(令和4)年
女子短期大学中庭
女子短期大学の構内
女子短期大学閉学記念礼拝/2022(令和4)年

2022年11月16日に閉学記念礼拝が青山学院講堂で執り行われた。

相模原キャンパスの開学

2000(平成12)年、青山学院は神奈川県相模原市の新日本製鐵株式会社の相模原研究所跡地と、隣接する國學院大學相模原キャンパスの一部を購入した。青山学院大学は、この土地に相模原キャンパスを開き、厚木キャンパスと世田谷キャンパスを閉鎖して全面移転することを決定した。

相模原キャンパスは2003(平成15)年に開学した。厚木キャンパスより広い約162000㎡の土地には、A ~O棟の校舎に加えて、P棟(屋内練習場)、S棟(スクーンメーカー寮、現、青山学院大学学生寮)、V棟(スタジアム)、相模原グラウンドといった施設が整備された。文理融合キャンパスとして、世田谷キャンパスにあった理工学部と大学院理工学研究科の学生に加えて、文系学部の1・2年生が学んだ。開学に伴い、1991(平成3)年の大学設置基準の大綱化に即して導入していた全学共通科目を、青山スタンダード科目に再編した。

2013(平成25)年には就学キャンパスの再配置を行い、青山キャンパスを本拠とする学部は入学から卒業まで青山キャンパスで学ぶようになった。一方で相模原キャンパスには、2008(平成20)年に社会情報学部(社会情報学科)、2015(平成27)年に地球社会共生学部(地球社会共生学科)、2019(平成31)年にコミュニティ人間科学部(コミュニティ人間科学科)を新設した。理工学部の学科についても、2000年に機械工学科と経営工学科を機械創造工学科、経営システム工学科、情報テクノロジー学科に、2004(平成16)年に物理学科を物理・数理学科、化学科を化学・生命科学科に、2021(令和3)年に物理・数理学科を物理科学科と数理サイエンス学科に再編するなど、教育・研究の場として一層の充実を進めている。

また、綱島グラウンドを2001(平成13)年に売却し、これに代わって同年には相模原市中央区に緑が丘グラウンドを、2005(平成17)年には東京都町田市に町田グラウンドを開き、相模原キャンパスに隣接する相模原グラウンドとともに授業や体育会各部の活動に使用している。

相模原キャンパス航空写真/2004(平成16)年

キャンパスの南西を走るJR横浜線の淵野辺駅から、徒歩約7分の場所に位置する。

相模原キャンパスB棟

B棟はメディアセンターとして、スチューデントセンターや情報メディアセンター、万代記念図書館などが置かれている。

相模原キャンパスB棟ビューラウンジから眺めるキャンパス

ウェスレー・チャペル(左下)では日々の礼拝が行われている。厚木キャンパスのウェスレー・チャペルのステンドグラス、パイプオルガン、カリオンが移設された。

A棟(中央)は、バスケットボール、バレーボール、バドミントンなどの試合が行えるアリーナ。大学硬式野球部が使うスタジアムも見える。

万代記念図書館

厚木キャンパスの万代記念図書館の名を継承した。B棟西側1~3階にあり、地下には自動書庫が設置された。

緑が丘グラウンド

相模原市中央区緑が丘に所在し、緑が丘グラウンドと命名された。ラグビー場、サッカー場、アメリカンフットボール場、テニスコート、自動車整備棟、クラブハウスがある。

町田グラウンド

大学軟式野球部が使う野球場兼多目的グラウンドや、馬術部の厩舎・馬場、大学のセミナーハウスがある。

相模原グラウンド

2012年、相模原キャンパスの既存のグラウンドと、隣接していたカルピス株式会社から貸与された土地(2019年購入)を整備し、相模原グラウンドを開いた。大学陸上競技部が用いる陸上トラック、クロスカントリーコースなどが設けられた。