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青山学院の歩み

青山学院の歩み

青山学院は、米国のメソジスト監督教会が日本に派遣した宣教師によって創設された3つの学校を源流とする、150年の歴史を有する伝統のある総合学園です。

青山学院の歩み(年表)

1874年 ●ドーラ・E・スクーンメーカー、津田仙の助力を得て「女子小学校」を麻布に開校
ドーラ・E・スクーンメーカー
〈女子小学校・救世学校・海岸女学校〉
1875年 ●「女子小学校」を「救世学校」と改称
〈女子小学校・救世学校・海岸女学校〉
1877年 ●「救世学校」は築地明石町に移転し「海岸女学校」と改称
〈女子小学校・救世学校・海岸女学校〉
1878年 ●ジュリアス・ソーパー「耕教学舎」を築地に開校
ジュリアス・ソーパー
〈耕教学舎・東京英学校〉
1879年 ●ロバート・S・マクレイ「美會神学校」を横浜に開校
ロバート・S・マクレイ
〈美會神学校〉
1881年 ●「耕教学舎」を「東京英学校」と改称
〈耕教学舎・東京英学校〉
1882年 ●「美會神学校」を「東京英学校」に合同
〈耕教学舎・東京英学校〉
1883年 ●ジョン・F・ガウチャーの寄付により青山に土地を購入、「東京英学校」を移転し「東京英和学校」と改称
ジョン・F・ガウチャー
〈青山の土地購入〉
〈東京英和学校〉
1888年 ●「海岸女学校」の上級生を青山に移し、「東京英和女学校」として開校
〈東京英和女学校〉
1890年 ●エラ・M・ブラックストック「海岸女学校」に手芸教室開校、翌年職業部、後に東京英和女学校手芸部となる
エラ・M・ブラックストック
〈東京英和女学校〉
1893年 ●「海岸女学校」に幼稚園を開園
●青山同窓会設立(一旦休止し、1902年に青山学院校友会を組織)
〈青山学院校友会と私立青山学院財団の発足〉
1894年 ●「東京英和学校」を「青山学院」と改称、神学部、高等普通学部、予備学部を置く
本多庸一
〈青山学院〉
1895年 ●「海岸女学校」と「東京英和女学校」を合同し、「青山女学院」と改称、高等科、普通科、予備科、手芸部、幼稚園(1899年閉園)を置く
〈青山女学院・青山女子手芸学校〉
1899年 ●「文部省訓令第12号」公布により、宗教教育に支障をきたす
●青山女学院手芸部は独立し、「青山女子手芸学校」となる(1914年青山女学院に合同)
〈文部省訓令第12 号とキリスト教主義教育〉
〈青山女学院・青山女子手芸学校〉
1900年 ●青山女学院同窓会発足(1902年青山女学院校友会と改称)
〈青山学院校友会と私立青山学院財団の発足〉
1904年 ●青山学院高等科・神学部は専門学校の認可を受ける
●青山女学院英文専門科は専門学校の認可を受ける
1906年 ●私立青山学院財団設立(1927年青山学院財団、1942年財団法人青山学院と改称)
1916年 ●「青山学報」創刊
〈青山学院の拡張〉
1920年 ●青山女学院英文専門科を廃止
〈大正期の青山女学院〉
1923年 ●関東大震災により、青山学院・青山女学院の校舎・諸施設大破
関東大震災
〈関東大震災〉
1927年 ●「青山女学院」を「青山学院」に合同、神学部、高等学部、中学部、高等女学部を置く
〈青山学院と青山女学院の合同〉
1929年 ●カレッジソングを発表
〈昭和期の学生生活〉
1933年 ●高等女学部専攻科を廃止し、青山学院女子専門部を設置、専門学校の認可を受ける
1937年 ●青山学院小学財団設立、「青山学院緑岡小学校」及び「青山学院緑岡幼稚園」(1944年に閉校)を開校
米山梅吉
〈青山学院緑岡小学校と緑岡幼稚園〉
1941年 ●宣教師に米国のメソジスト教会より帰還命令が出される
●「青山学院緑岡小学校」を「青山学院緑岡初等学校」と改称
〈戦時下の青山学院〉
1943年 ●神学部閉鎖
(男子部は明治学院神学部等と共に日本東部神学校に合同、女子部は共立女子神学校等と共に日本女子神学校に合同)
〈アジア・太平洋戦争と敗戦〉
1944年 ●専門部(文学部、高等商業学部)を閉鎖し、明治学院に合同
●「青山学院工業専門学校」を開校
〈アジア・太平洋戦争と敗戦〉
1945年 ●空襲により校舎・諸施設の大半罹災
空襲被害
〈アジア・太平洋戦争と敗戦〉
1946年 ●青山学院工業専門学校を「青山学院専門学校」と改称
●女子専門部を「青山学院女子専門学校」と改称
●青山学院小学財団を「財団法人青山学院」に合併し、「青山学院緑岡初等学校」を「青山学院初等部」と改称
●米国のメソジスト教会より、宣教師が再び日本に派遣される
戦後復興〈正門〉
〈戦後復興〉
〈学制改革・学校法人青山学院の発足〉
〈青山学院初等部の設置〉
1947年 ●新学制による「青山学院中等部」を開校
●青山学院専門学校横須賀分校開校(1949年大学工学部となる)
〈青山学院中等部の設置〉
1948年 ●高等女学部を女子高等部と改称(1952年に閉鎖)
●中学部を高等部と改称(1950年男子高等部と改称し1952年閉鎖)
〈青山学院高等部の設置〉
1949年 ●新制大学として「青山学院大学」を開校
(文学部、商学部、工学部[翌年関東学院大学に合同]を置く)
〈青山学院大学の設置〉
1950年 ●大学文学部と商学部に第二部を設置
●「青山学院女子短期大学」を開校
(家政科、文科[英文専攻・国文専攻]を置く)
(その後、児童教育学科、教養学科、芸術学科を順次設置)
●「青山学院高等部」を開校
〈青山学院女子短期大学の設置〉
〈青山学院高等部の設置〉
1951年 ●「財団法人青山学院」を「学校法人青山学院」に組織変更
〈学制改革・学校法人青山学院の発足〉
1952年 ●大学院文学研究科を設置
(その後、経済学、法学、理工学、経営学、国際政治経済学研究科を順次設置)
1953年 ●大学商学部を経済学部に改組
1956年 ●青山学院女子部校友会を青山学院校友会に合同
1959年 ●大学法学部を設置
〈学部・学科の充実〉
1961年 ●「青山学院幼稚園」を開園
〈青山学院幼稚園の設置〉
1964年 ●「青山学院教育方針」発表
〈高度成長と青山学院〉
1965年 ●大学廻沢キャンパス(1971年世田谷キャンパスに改称)を開学し、理工学部を置く
廻沢キャンパス
〈世田谷キャンパスの開学〉
1966年 ●大学経営学部を設置
〈学部・学科の充実〉
1974年 ●青山学院創立100周年
●「青山学院校歌」制定
〈創立100周年と教育環境の充実〉
1977年 ●大学文学部神学科廃止
〈大学紛争〉
1982年 ●大学厚木キャンパスを開学
●大学国際政治経済学部を設置
厚木キャンパス
〈厚木キャンパスの開学〉
1986年 ●「青山学院高中部」(中・高6年制一貫教育)発足
〈21世紀に向けて〉
1990年 ●国際政治経済学研究科に国際ビジネス専攻修士課程(夜間大学院)設置
1999年 ●「青山学院スクール・モットー」制定
〈21世紀に向けて〉
2001年 ●大学院国際マネジメント研究科を設置
2003年 ●大学厚木キャンパス・世田谷キャンパスを閉じ、大学相模原キャンパス開学
相模原キャンパス
〈相模原キャンパスの開学〉
2004年 ●大学院法務研究科を設置
2005年 ●大学院会計プロフェッション研究科を設置
2006年 ●女子短期大学児童教育学科を子ども学科に改組
2008年 ●ベリーホール及び間島記念館が、国登録有形文化財に登録される
●大学総合文化政策学部・研究科を設置
●大学社会情報学部・研究科を設置
2009年 ●大学教育人間科学部・研究科を設置
●横須賀学院との教育提携
2011年 ●第二部英米文学科の募集停止をもって大学第二部全学科募集停止となる
2012年 ●女子短期大学を大幅に改組し、現代教養学科と子ども学科の2学科制とする
2013年 ●大学の就学キャンパスを再配置し、4年間一貫教育体制となる
2015年 ●大学地球社会共生学部を設置
2016年 ●「横浜英和女学院中学高等学校」が大学の系属校として「青山学院横浜英和中学高等学校」となる
●静岡英和女学院との教育提携
2018年 ●法務研究科募集停止
2019年 ●大学コミュニティ人間科学部を設置
●女子短期大学本科募集停止
●浦和ルーテル学院小学校、中学校及び高等学校が大学の系属校となる
2021年 ●草苑学園との教育提携
2022年 ●女子短期大学を閉学
●遺愛学院との教育提携
〈青山学院女子短期大学の閉学〉
2024年 ●青山学院創立150周年
●活水学院との教育提携
1874年 ●ドーラ・E・スクーンメーカー、津田仙の助力を得て「女子小学校」を麻布に開校
ドーラ・E・スクーンメーカー
〈女子小学校・救世学校・海岸女学校〉
1875年 ●「女子小学校」を「救世学校」と改称
〈女子小学校・救世学校・海岸女学校〉
1877年 ●「救世学校」は築地明石町に移転し「海岸女学校」と改称
〈女子小学校・救世学校・海岸女学校〉
1878年 ●ジュリアス・ソーパー「耕教学舎」を築地に開校
ジュリアス・ソーパー
〈耕教学舎・東京英学校〉
1879年 ●ロバート・S・マクレイ「美會神学校」を横浜に開校
ロバート・S・マクレイ
〈美會神学校〉
1881年 ●「耕教学舎」を「東京英学校」と改称
〈耕教学舎・東京英学校〉
1882年 ●「美會神学校」を「東京英学校」に合同
〈耕教学舎・東京英学校〉
1883年 ●ジョン・F・ガウチャーの寄付により青山に土地を購入、「東京英学校」を移転し「東京英和学校」と改称
ジョン・F・ガウチャー
〈青山の土地購入〉
〈東京英和学校〉
1888年 ●「海岸女学校」の上級生を青山に移し、「東京英和女学校」として開校
〈東京英和女学校〉
1890年 ●エラ・M・ブラックストック「海岸女学校」に手芸教室開校、翌年職業部、後に東京英和女学校手芸部となる
エラ・M・ブラックストック
〈東京英和女学校〉
1893年 ●「海岸女学校」に幼稚園を開園
●青山同窓会設立(一旦休止し、1902年に青山学院校友会を組織)
〈青山学院校友会と私立青山学院財団の発足〉
1894年 ●「東京英和学校」を「青山学院」と改称、神学部、高等普通学部、予備学部を置く
本多庸一
〈青山学院〉
1895年 ●「海岸女学校」と「東京英和女学校」を合同し、「青山女学院」と改称、高等科、普通科、予備科、手芸部、幼稚園(1899年閉園)を置く
〈青山女学院・青山女子手芸学校〉
1899年 ●「文部省訓令第12号」公布により、宗教教育に支障をきたす
●青山女学院手芸部は独立し、「青山女子手芸学校」となる(1914年青山女学院に合同)
〈文部省訓令第12 号とキリスト教主義教育〉
〈青山女学院・青山女子手芸学校〉
1900年 ●青山女学院同窓会発足(1902年青山女学院校友会と改称)
〈青山学院校友会と私立青山学院財団の発足〉
1904年 ●青山学院高等科・神学部は専門学校の認可を受ける
●青山女学院英文専門科は専門学校の認可を受ける
1906年 ●私立青山学院財団設立(1927年青山学院財団、1942年財団法人青山学院と改称)
1916年 ●「青山学報」創刊
〈青山学院の拡張〉
1920年 ●青山女学院英文専門科を廃止
〈大正期の青山女学院〉
1923年 ●関東大震災により、青山学院・青山女学院の校舎・諸施設大破
関東大震災
〈関東大震災〉
1927年 ●「青山女学院」を「青山学院」に合同、神学部、高等学部、中学部、高等女学部を置く
〈青山学院と青山女学院の合同〉
1929年 ●カレッジソングを発表
〈昭和期の学生生活〉
1933年 ●高等女学部専攻科を廃止し、青山学院女子専門部を設置、専門学校の認可を受ける
1937年 ●青山学院小学財団設立、「青山学院緑岡小学校」及び「青山学院緑岡幼稚園」(1944年に閉校)を開校
米山梅吉
〈青山学院緑岡小学校と緑岡幼稚園〉
1941年 ●宣教師に米国のメソジスト教会より帰還命令が出される
●「青山学院緑岡小学校」を「青山学院緑岡初等学校」と改称
〈戦時下の青山学院〉
1943年 ●神学部閉鎖
(男子部は明治学院神学部等と共に日本東部神学校に合同、女子部は共立女子神学校等と共に日本女子神学校に合同)
〈アジア・太平洋戦争と敗戦〉
1944年 ●専門部(文学部、高等商業学部)を閉鎖し、明治学院に合同
●「青山学院工業専門学校」を開校
〈アジア・太平洋戦争と敗戦〉
1945年 ●空襲により校舎・諸施設の大半罹災
空襲被害
〈アジア・太平洋戦争と敗戦〉
1946年 ●青山学院工業専門学校を「青山学院専門学校」と改称
●女子専門部を「青山学院女子専門学校」と改称
●青山学院小学財団を「財団法人青山学院」に合併し、「青山学院緑岡初等学校」を「青山学院初等部」と改称
●米国のメソジスト教会より、宣教師が再び日本に派遣される
戦後復興〈正門〉
〈戦後復興〉
〈学制改革・学校法人青山学院の発足〉
〈青山学院初等部の設置〉
1947年 ●新学制による「青山学院中等部」を開校
●青山学院専門学校横須賀分校開校(1949年大学工学部となる)
〈青山学院中等部の設置〉
1948年 ●高等女学部を女子高等部と改称(1952年に閉鎖)
●中学部を高等部と改称(1950年男子高等部と改称し1952年閉鎖)
〈青山学院高等部の設置〉
1949年 ●新制大学として「青山学院大学」を開校
(文学部、商学部、工学部[翌年関東学院大学に合同]を置く)
〈青山学院大学の設置〉
1950年 ●大学文学部と商学部に第二部を設置
●「青山学院女子短期大学」を開校
(家政科、文科[英文専攻・国文専攻]を置く)
(その後、児童教育学科、教養学科、芸術学科を順次設置)
●「青山学院高等部」を開校
〈青山学院女子短期大学の設置〉
〈青山学院高等部の設置〉
1951年 ●「財団法人青山学院」を「学校法人青山学院」に組織変更
〈学制改革・学校法人青山学院の発足〉
1952年 ●大学院文学研究科を設置
(その後、経済学、法学、理工学、経営学、国際政治経済学研究科を順次設置)
1953年 ●大学商学部を経済学部に改組
1956年 ●青山学院女子部校友会を青山学院校友会に合同
1959年 ●大学法学部を設置
〈学部・学科の充実〉
1961年 ●「青山学院幼稚園」を開園
〈青山学院幼稚園の設置〉
1964年 ●「青山学院教育方針」発表
〈高度成長と青山学院〉
1965年 ●大学廻沢キャンパス(1971年世田谷キャンパスに改称)を開学し、理工学部を置く
廻沢キャンパス
〈世田谷キャンパスの開学〉
1966年 ●大学経営学部を設置
〈学部・学科の充実〉
1974年 ●青山学院創立100周年
●「青山学院校歌」制定
〈創立100周年と教育環境の充実〉
1977年 ●大学文学部神学科廃止
〈大学紛争〉
1982年 ●大学厚木キャンパスを開学
●大学国際政治経済学部を設置
厚木キャンパス
〈厚木キャンパスの開学〉
1986年 ●「青山学院高中部」(中・高6年制一貫教育)発足
〈21世紀に向けて〉
1990年 ●国際政治経済学研究科に国際ビジネス専攻修士課程(夜間大学院)設置
1999年 ●「青山学院スクール・モットー」制定
〈21世紀に向けて〉
2001年 ●大学院国際マネジメント研究科を設置
2003年 ●大学厚木キャンパス・世田谷キャンパスを閉じ、大学相模原キャンパス開学
相模原キャンパス
〈相模原キャンパスの開学〉
2004年 ●大学院法務研究科を設置
2005年 ●大学院会計プロフェッション研究科を設置
2006年 ●女子短期大学児童教育学科を子ども学科に改組
2008年 ●ベリーホール及び間島記念館が、国登録有形文化財に登録される
●大学総合文化政策学部・研究科を設置
●大学社会情報学部・研究科を設置
2009年 ●大学教育人間科学部・研究科を設置
●横須賀学院との教育提携
2011年 ●第二部英米文学科の募集停止をもって大学第二部全学科募集停止となる
2012年 ●女子短期大学を大幅に改組し、現代教養学科と子ども学科の2学科制とする
2013年 ●大学の就学キャンパスを再配置し、4年間一貫教育体制となる
2015年 ●大学地球社会共生学部を設置
2016年 ●「横浜英和女学院中学高等学校」が大学の系属校として「青山学院横浜英和中学高等学校」となる
●静岡英和女学院との教育提携
2018年 ●法務研究科募集停止
2019年 ●大学コミュニティ人間科学部を設置
●女子短期大学本科募集停止
●浦和ルーテル学院小学校、中学校及び高等学校が大学の系属校となる
2021年 ●草苑学園との教育提携
2022年 ●女子短期大学を閉学
●遺愛学院との教育提携
〈青山学院女子短期大学の閉学〉
2024年 ●青山学院創立150周年
●活水学院との教育提携

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