訪問団出発前インタビュー(スクーンメーカー・ソーパー班)
【スクーンメーカー・ソーパー班】 衣斐宏亮・本部総合企画部企画課、江口大生・大学学務部教職課程課
Q.訪問先はどちらでしょうか
ジュリアス・ソーパーのゆかりの地としてニュージャージー州のドゥルー大学、ソーパーの墓石を訪ねます。
また、ドーラ・E・スクーンメーカーのゆかりの地としてスクーンメーカーの墓石や彼女が通った教会跡地を訪ねます(イリノイ州のゆかりの地については、本年夏に学院宗教部長の伊藤悟先生が訪問しています)。
さらには、2人が晩年暮らしたロサンゼルスの街の中で、住居のあった通りや近くの教会を訪ねます。
Q.それぞれの場所でのミッションを教えてください
◆ドゥルー大学
ソーパーが在学中に日本への宣教を命じられた地であるだけでなく、本多庸一が学んだ大学でもあり、学院との繋がりにおいて重要な場所だと考えています。『恩師ソーパル博士』という1938年に書かれた書籍をもとに、ソーパー博士について学びました。多くの後進に宣教活動における影響を与えた人物だったことがわかります。その書籍の中で、ソーパーに関するシンボリックなものがあると書かれています。しかし、その場所が定かではなく、今回の訪問でその場所を探して、記録に残したいと思います。また、時間が許せば、神学部の学生にインタビューをし、日本伝道の歴史などについて話ができたらと思っています。
また、青山学院の第2代院長である本多庸一の書簡が保管されていると聞いています。かつて、名前の読みが「よういち」か「よういつ」かの議論があり、現在公式には「よういつ」となっていますが、その手紙に書かれた本多の署名が、「よういつ」か「よういち」か、確かめてきたいと思います。これは4人の共同ミッションでもあります。
◆ソーパーの墓石
ソーパーはメリーランド州に生まれ、ニュージャージー州のドゥルー大学に学びましたが、1908年に青山学院神学部長を辞した後、カリフォルニア州に移り住み、最後の時を迎えました。校友会ロサンゼルス支部の皆様が管理してくださっている墓石に、同支部の皆様と一緒にお参りします。
もし時間が許せば、生前の家の住所がわかっているため、その周辺を訪ねてみたいと思います。
◆スクーンメーカーの墓石
スクーンメーカー、マクレイ、ソーパーの墓石が近いため、この青山学院三つの源流となる学校の創設者の墓石を巡ってきます。
スクーンメーカーについて学んだ際、あまり資料がない中、棚村恵子先生が詳しく調査されて著された『しなやかに夢を生きる』という本をとても参考にさせていただきました。ロサンゼルスの地は、スクーンメーカーの終焉の地であり、同地で3か所ほど転居しています。今は民家となっているようですが通り名はわかっていて、その通りを歩く機会があれば、当時の空気を感じてきたいと思っています。
またソーパーが日本から引き上げ、二人が再開した地でもあります。当時同地には日本人コミュニティが形成され、街で日本人をみて懐かしい思いになったのではと考えます。そんな大事な地だからこそ、実際に立ってみなくてならないのです。
◆校友会ロサンゼルス支部との交流
墓参後、校友会ロサンゼルス支部の皆さんとの交流の時を持ちます。毎年の墓参への感謝を伝え、学院の現在の活躍ぶりを紹介し、支部の方々からの創立150周年へのメッセージをいただければと考えています。
〈番外編〉
◆アメリカの教会での礼拝に参加
最終日の日曜日、久山 康彦 西ロスアンゼルス合同メソジスト教会名誉牧師 の計らいで、ホテルの近くの教会で、アメリカの教会の礼拝に参加、体験できることになりました。その中で特別に、青山学院の紹介をすることになり、また日本語の歌を披露することになっています。
Q.思いや意気込みを教えてください
◆江口さん
めったに頂けない機会であり、訪問団に加えていただいたことに感謝しています。150周年の節目の年に、青山学院の源流となる学校を創設された方々に敬意を表しつつ、彼らがどのような意志をもって日本へ向かったのか、この由来の地探訪を通じて、体で感じてきたいと思います。
私は主にソーパーについて学んできました。ソーパーは常に笑顔を絶やさず、「そうそうそう」が口癖だったようです。日本語を言い間違えることも多く、周りを楽しくさせる人物だったようです。そのような彼の性格がわかるような資料も見つけられればと願っています。偉人は堅い、というイメージを払拭してくれた人物でもあります。このような意外な一面もみなさんにお伝えできればと思っております。今回は、東から西へと旅します。これはソーパーの辿った道を巡ることでもあります。いろいろな土地を訪ね、その場で感じたことや新たに発見したことなどを青山学院に所属するみなさんに伝えられることを楽しみにしています。
Q.思いや意気込みを教えてください
◆江口さん
めったに頂けない機会であり、訪問団に加えていただいたことに感謝しています。150周年の節目の年に、青山学院の源流となる学校を創設された方々に敬意を表しつつ、彼らがどのような意志をもって日本へ向かったのか、この由来の地探訪を通じて、体で感じてきたいと思います。
私は主にソーパーについて学んできました。ソーパーは常に笑顔を絶やさず、「そうそうそう」が口癖だったようです。日本語を言い間違えることも多く、周りを楽しくさせる人物だったようです。そのような彼の性格がわかるような資料も見つけられればと願っています。偉人は堅い、というイメージを払拭してくれた人物でもあります。このような意外な一面もみなさんにお伝えできればと思っております。今回は、東から西へと旅します。これはソーパーの辿った道を巡ることでもあります。いろいろな土地を訪ね、その場で感じたことや新たに発見したことなどを青山学院に所属するみなさんに伝えられることを楽しみにしています。
◆衣斐さん
私が所属する総合企画部が創立150周年記念事業実行委員会の事務局をしていることから、先生方や他部署の方などと様々な話をする機会に恵まれ嬉しく感じています。150周年の記念ロゴは、個性を尊重しあい繋がりあうという青山学院の姿勢を表している素晴らしいものです。そして、この青山学院由来の地探訪プログラムは「繋がる」というテーマにぴったりの企画だと思います。国を越えた繋がり、そこで出会う校友や現地の様々な人達との繋がりを感じてきたいと思います。そして、このプログラムを過去―現在―未来の繋がりの役割を果たせる実りあるものにしたいと思います。創設者のほかにも、多くの様々な教職員の皆さんが支えてきてくれたということにも思いを馳せ、今回の訪問が、50年後、100年後の皆さんに繋がっていくような一つのきっかけになればという思いで、由来の地を見つめて来たいと思います。
◆衣斐さん
私が所属する総合企画部が創立150周年記念事業実行委員会の事務局をしていることから、先生方や他部署の方などと様々な話をする機会に恵まれ嬉しく感じています。150周年の記念ロゴは、個性を尊重しあい繋がりあうという青山学院の姿勢を表している素晴らしいものです。そして、この青山学院由来の地探訪プログラムは「繋がる」というテーマにぴったりの企画だと思います。国を越えた繋がり、そこで出会う校友や現地の様々な人達との繋がりを感じてきたいと思います。そして、このプログラムを過去―現在―未来の繋がりの役割を果たせる実りあるものにしたいと思います。創設者のほかにも、多くの様々な教職員の皆さんが支えてきてくれたということにも思いを馳せ、今回の訪問が、50年後、100年後の皆さんに繋がっていくような一つのきっかけになればという思いで、由来の地を見つめて来たいと思います。